様々な楽器の音が聞こえる校舎内

私は高校二年の夏を迎えていた。


中学時代と違い、髪を伸ばした私は首の後ろの汗が髪の毛と一緒にまとわりついて気持ち悪かった。


ずっと冷房の効いた練習室に引きこもっていたから、この暑さにめまいがした。


外を見るとスポーツ学科の面々が暑さにも負けず、それぞれの競技に取り組んでいる姿が見えた。
野球部の練習を見つめて、私はふと思い立ち足をグラウンドへ向けた。


第一グラウンドでは野球部が熱心に練習中だった。
今年は甲子園に行けず、その悔しさからか監督やコーチの指導が厳しいように見えた。

練習の邪魔はできないと私は木陰に座って楽譜を広げた。
楽譜を見ながら指を動かす。
どれぐらいの時間そうしていただろう。


「紗英!!」


フェンスの向こうから声をかけられ、指を止め顔を上げた。


「翔君」


そこにはいつの間にか本郷翔平君が立っていた。


「待ってて!」


彼はそういうとコーチっぽい人の所へ走って行ってしまった。
私は彼の顔を見て目的を思い出した。
ひざに広げていた楽譜を鞄の中に片付ける。

そうしているうちに本郷君が走ってきて私の横に腰を下ろした。


「はぁ〜ここ涼しい〜…」


くつろぐ彼に私はここに来た目的であるスポーツドリンクを差し出した。


「お疲れ、翔君」


本郷君は日に焼けた顔で笑うと「サンキュ」と言ってボトルのふたを開けて飲んだ。


「あ、買ったのちょっと前だからぬるいかもしれない。」


私が思い出したように言うと、
本郷君は噴出しそうになるのを我慢して口の中の分を飲み切ると言った。


「それ!普通もっと早く言う事だよな?!本当、紗英は変わんないよなぁ〜」


中学のときからよく言われるけど、あんまり褒められている事ではないのは分かった。
わざわざ買ってきたのにと思って、私はムスッとしてグラウンドに目を移した。

さすがに私の態度から気を使ったのか、本郷君は私の顔を覗き込んで言った。


「紗英、美味しかった。差し入れしてくれたんだろ?ありがとな。」


素直に言われると弱い。
本郷君は私の扱いを熟知してるだけに、怒ってるのもバカらしくなった。


「練習室から出たときにグラウンドが見えて、大変そうだなーって思ったから。
息抜きもかねて持ってきただけ。練習の邪魔するのも悪いし、もう戻るよ。」

「わっ!!待って、待って!!もう少しだけ休憩に付き合ってよ!」

立ち上がろうとした私を本郷君が手を合わせて引き留めた。
仕方ないなぁ〜とため息をつくと、腰を落ち着けた。


そんな私の横顔を見て本郷君がにやにや笑ってるのが分かった私は
まっすぐ前を向いたまま尋ねた。


「なんでそんな顔してるの?」


「ん〜?」


答える気がないらしく、にやにや笑いを止めない彼に私はイラついた。
たまにこういうことをする彼を私はまだ理解できていない。


「も〜!見られてるこっちの身にもなってよー」


だんだん無言のままで見られていると恥ずかしくなってくる。
本郷君は楽しそうに笑うとやっと見つめる態勢をやめてくれた。


「いや〜幸せだなーと思ってさ。」


意味がわからない。


「紗英。俺の名前呼んでよ。」


今度は何プレイだ。
さっきまで散々いじられたんだ。
簡単に要望を叶えるなんて癪だ。


「紗英ちゃ〜ん。聞いてるー?」


今日の本郷君は壊れてる。
そう思った。


「紗英。お願い!」


三度目の正直とはこのことだ。
いつも本郷君は三回目に真面目に頼んでくる。
そして三回目に折れる私も同じだ。


「翔君。」


いざ名前だけ呼ぶというのは照れ臭い。
本郷君は今日一番の笑顔で何かを噛みしめると急に立ち上がった。


「…っし!パワーもらったし、もうひと頑張りしてくる!!」


何回か屈伸した後本郷君は走り去った。
私はその後ろ姿を見送った後、空を見上げて目を閉じた。


本郷君とこうしているのが今でも不思議だった
中学二年のときには、本郷君と一緒にいる姿なんて想像もできなかった。
いつからだろう…名前で呼ぶ合うようになったのは…


いつからだろう…大好きだったあの人の顔も思い出せなくなったのは…


私は目を開けると、グラウンドを見つめた。
何だか切ない気持ちになったが、押し隠すように息を吸い込むとその場を後にした。







私は専攻であるピアノのレッスンを受けて激しく落ち込んでいた。
ここ一年ほど先生に指摘される所が増えてきているからだ。

大好きだった音楽の道に来たはずなのに…


「嫌いになりそう…」


西城高校の音楽科は入ってみて分かったことだが
将来プロを目指している子がほとんどだ。

私はなれればいいな〜ぐらいの気持ちで入ってしまったから、周りとの熱気の違いに戸惑っている。
小さいころからピアノをやっているし、中学では吹奏楽でアルトサックスを吹いていたから
自然に音楽の道が良いと思っていた、大丈夫だと思っていた。

でも今は楽しかったはずの音楽が遠くにあるような気分だ。

私は落ち込むと自然にグラウンドへ足を運ぶ。

一種のクセのようになっている。

なぜならグラウンドを見ているだけで、少し気持ちがあったかくなるからだ。
中学時代ドキドキしながら見つめていたからかもしれない。


少し気持ちの落ち着いた私は、グラウンドで練習する本郷君を横目に帰路についた。




西城高校から自宅までは電車で10分。
意外と近くて助かっている。

私は自宅の最寄駅に降り立つと、近くのコンビニでお菓子と飲み物を調達した。
色々と疲れてくると甘いものがほしくなるからだ。

私は途中から中学のときに何回も通った登下校の道に出た。
親友二人と笑いながら通ったことを思い出すと、自然と笑顔がこぼれた。


そのときだった。


細い路地でガゴンッと何かがぶつかる音がして足を止めた。
私は音のした方向に振り向いた。

そこには五、六人の男子高校生らしき人達が固まっていた。
制服から近所の公立高校の人たちだと分かった。

その彼らの足元にうずくまる一人の男子生徒。

私は状況を理解した。

どう見てもこれは集団リンチというやつだ。
誰かに知らせた方が良いのか迷っていると、その集団の一人に目が留まった。

一際背が高くて、若干の猫背な姿。
制服は違うけれど、私はその人物が誰だか思い出した。
ずっと忘れかけていた心臓を鷲掴みにされたような感じ。
爽やかな笑顔、少し低めの声。
大好きだった…






「吉田くん…。」






声に出したとき、吉田君がこっちを向いた。